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「日本での自己決定」


「日本での自己決定」

 

こんにちは!16卒の田中希実です。部活がオフ明けとなり、本格的に始まりました!ここからの一年は13年間の剣道人生の最後の一年。(まあ、社会人になっても東京の道場を探して、やるつもりですが・・・笑)11月の全日本に向けて一回一回の練習を最後だと思い、どれだけ意識高くできるか・・・勝負の一年!!

 


 

 

さて、今回は「日本での自己決定」というテーマでお話します。この前、お世話になった企業の方と内定者の清水とで呑みに行った時にたくさん話をしたので、そこでのお話を。

 

大学生になって真っ先に感じたことは「自分で決める」という機会の多さ。小学校から高校まで偏差値の高い学校に行くのが正解で、周りと共通の正解を追い求めることが良しとされてきました。しかし、大学は今までの「共通の正解」というものが少しずつ崩れてきて、その人なりの正解を求めて自分で目標を設定し動くということが求められます。就活も同じです。就活とは「将来の道を自分で決める」こと。自分で決める道が正解であるにも関わらず、何となく周りの評判がいいから、皆がそうするからという理由で道を決めている人が多いと感じます。自分にとってそれが良いのか、自分で決めていくしかないわけで、「自己決定」のできる人とできない人とではすでに就活にも大きく差が出ていると感じています。敷かれたレールが無くなり、大学で自由というものを目の前にしたとき「自己決定力」のある人は、自ら高い目標を設定し、そこに向かって日々を駆け抜けてきています。私の周りにも早い段階から「自己決定」を繰り返してきている人は、とにかく面白く、優秀だと感じます。日本において、就活が始まる前から、自分の人生を自分で決めるという行為を繰り返してきている人は少ないように感じます。そしてそのような人はとても貴重な存在で、小学生の時から「共通の正解」が決められ、かっちりとレールが敷かれている日本の教育の中で、「自己決定」をしてきた人は相当優秀であり、高次元な人であるのだと気付きました。



何を言いたいかというと、「日本での自己決定は高次元である」ということ。アメリカのように、小さい頃から色んな人やいろんな考えに触れ、正解は人それぞれに違い、「自己決定」が当たり前の世界であれば、それは普通のこと。ただ、がちがちに囲い込まれた日本の教育の中で、それに疑問を感じて行動してきた「自己決定力」の高い人間は、とても価値ある存在だと思うのです。

 

単純に考えると、日本の学生が就活で四苦八苦するのは、小さい頃から「自己決定」をしてきておらず、自分で正解を見つけさせるような教育ではないからで、レールが無くなり野放しにされたとき路頭に迷う子羊のようになってしまう。

であれば、日本もアメリカのように小さい時からたくさんの選択肢を与え、選択肢の中から自分で決めていくアメリカの教育のようにすれば解決!!という話でもないです。選択肢が多いことは逆に不幸になる可能性もある。今後、日本の教育も変わってくるのかもしれないが、ただ一つ言えることは、こういったレール文化の日本の中で確固たる「自己決定」を繰り返すことは、かなり高次元なもので、誇りあるものだということ。

 


周りにもっと自己決定力の高い人はたくさんいるが、この日本においてある程度自己決定を繰り返してきた身として、「自分は高次元であり、誇らしい」と思い、日々を過ごしていこうと感じました。これはもちろん「それだけの責任を果たさないと!」という自分への戒めであり、自分を奮い立たせる今日この頃でした~。

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